空とか悟りとかを体験してみる(動画)

昨日のEFTビデオ、ご覧いただけましたか?

自分のために、感情を解放するということ(動画)

こういうことを知っているってだけで、相当人生が豊かになる気がします。

 

以前だったら「いやいや私はマニアックな人間ナノデ・・・」とかイジイジしてたけど、

 

知っといた方がいいことは知っといた方がいいんじゃ!

 

と今は思っています(笑)

 

で、今回新しく作ったEFTビデオがこちらです。

 

 

この中で「空」とか「悟り」を体験するのはとってもカンタン!というお話をしています。

 

だってカンタンなんだもの。

 

試してください。自分の軸がカクジツに変わります。

 

それはとっても素敵な感覚です。

 

EFTオーディオが51も収録されています。心の平和と奇跡のレッスン 受講者募集中

 

 

自分のために、感情を解放するということ(動画)

3年前に撮ったEFTについてのyoutube動画のレクチャーを発見!(公開してなかった)

3年ぶりに見たらなかなかちゃんとしてるし、わかりやすいし、面白い(笑)

 

自分という記憶は片っ端からなくなっていくから、ものすごく新鮮な感じでみちゃった。(以前は自分のしゃべってる映像なんてイタくて見てられなかった・EGOがでかすぎて・笑)

 

それにしてもこのビデオ、みたほうがいいです。そして感情を解放するってどんなこと?EFTって?をもっと理解するってものすごく素敵なこと。

 

それは自分のためだから。

 

人のためになる前に、まずは自分のためをやらないと、なのだよ。

 

本来の自分に帰るということ。セルフケアが絶対必要。

 

EFTオーディオが51も収録されています。心の平和と奇跡のレッスン 受講者募集中

 

 

甘いものから自由になるということ

甘いものをほとんどまったく食べなくなってからもうすぐ2年だぜベイビー。

 

以前はこういうノボリを見てしまったら最後・・

 

 

「うーん、どうしよう」

 

「買おうかな」

 

「でもやめよう」

 

「でもやっぱり食べたい・・・買う?」

 

とかモヤモヤするする!!

 

それまでは日常の一環だったから、特にそれがストレスだともモヤモヤだとも感じていませんでした。

 

でもね、それを一切しなくなってはじめてわかった。

 

それは消耗だ!

 

間違いない!!

 

テレビの健康番組で、ロック歌手の人が、食事はサラダチキンとか食べてるんだけど、あとはプリンとかあんぱんとかものすごくいっぱい食べてて、

 

「甘いものがなければ楽しいことがないから」

 

と言い切っていた。わっかるわーーー!!(←以前の私)

 

そうそう「楽しいこと」がないともう、やってられないんだよね!!!

 

だから駅とかコンビニで見かけたスイーツとか(モヤモヤしつつ)買わずにはいられないの!

 

そこで思った。

 

「じゃ、今、いったい何が楽しくて生きているのだ?」

 

甘いものも食べずに?!酒も飲まずに?!

 

面白みのない人生?

 

でも別に甘いものや酒が人生をダイレクトに面白くしてくれるわけではない。

 

そもそも面白くしなくちゃいけないわけでもない。

 

ただ今ここで事実としてあるのは、超甘党で(ほぼ)アル中だった私はもうどこにもいないということ。

 

なんだか改めてこう書くと、私じゃないみたいだけど、とっくにそんな私なんてどこにもいない。

 

気づくといろんな私がいなくなっていて衝撃を受ける毎日。面白すぎる。

 

新しい自分とか、代わりとか、受け皿とかを用意するわけでもなく、そのままの空っぽを楽しめるって自由!

 

そんな毎日は、すごくフラットなようだけど、しーんとしてるわけじゃなくて、以前よりずっとダイナミックでカラフルで新鮮で新しい。

 

さて、どんな私がいなくなるのかしらん?きゃードキドキ。

 

計りたくないし、計られたくない

「だって、普通はそうじゃない?」

 

と、今日ある人との会話の中で同意を求められたんだけど、

 

「いや、それはあなたの普通ですよね?」

 

と思った。

 

人は誰でも自分の尺度というものを持っている。

 

その「ものさし」をことあるごとに持ち出してきて、うん、これはいける!とかこれはだめだよ!とか、普通だよね、とか異常だよ!とか言って闘ったり逃げたりする。

 

私の学校生活の大部分がこれだった気がする。

 

もうちょっといわゆる「普通」だったらよかったんだろうけど、いろいろ独特すぎて(笑)

 

自分にとって大切だと思っているものを「普通じゃない」って否定されて傷ついたりとか。

 

テレビ番組でも「うん、これは普通」「これはおかしいでしょ」とかをずーっと計りまくってて大変そうなのが多い(笑)

 

でも人間がいればその数だけものさしはあって、誰かと全く同じものさしは誰も持っていないから、求めても求めても違いばかり目につく。

 

それにだんだん息苦しくなった私は、少しでも長い「ものさし」を持ってきて、大きなものでも対応できるようになりたい、と思ってがんばってみた。

 

でもそれがどんなに長くても結局は計ってるわけで、そして計っているということは、計られているということ。

 

そのうち

 

「もう計りたくないし、計られたくないよなー」

 

と思うようになった。

 

 

今はもう「ものさし」どこに行ったかわからない。

 

普通なんて、どーでもいい。

楽しいTシャツ作り

自分でTシャツをデザインするのが好きなのです!数年前はたくさん作って銀座で販売していたこともあるのです。

 

私のは、アファメーションTシャツ。好きな文章を入れる。

 

今回は2枚。Life loves meバージョン!

そしてうすピンクで、LOVE。

Tシャツがもともと好きで、街行く人々のTシャツに書いてある文字を見ては、「ふむーそう来たか!」とかよくメッセージを受け取っています。

 

英語だからなのか、みんな無防備に大胆なメッセージを胸に歩いているのがいいんだなこれが!

 

年配のおじいさんっぽい男性が「頂点を目指す!」とかマッチョなの着てたりする!そういうのを見るのが大好きです。

 

今オリジナルTシャツでいくつかサイトを試していて、サンプルのように1つずつ作ってる。息抜きにそのデザインするのがとっても楽しい!

 

ノンデュアリティ系のメッセージバージョンをいろいろ作りたいな。Tシャツのカジュアルさとメッセージの深みと広がりが良い感じ。

そこはどこまでも静かで、平和。

「うわ、もう一週間経ったの?早いね」

 

とか

 

「もう5月も後半だね!早いね!」

 

とか言われるんですが、うーん、早い?早いってなに?と思う。

 

そういう感覚は私の中にはなくなってしまったみたい。

 

そういう感覚がなくなってから、毎日瞑想するとか、EFTするとか、足もみするとか、筋トレするとかが自然に無理なくできるようになった気がする。

 

そういうのをやってるうちに、時系列の横の列が消えていったのかもしれない。どっちが先かはわからない。

 

こういうコツコツ型のことって、今日も、明日も、明後日も、とか横の列で考えたら圧倒されてしまいそう。

 

今日しかないから、今しかないから。私の担当は今だけだから。

 

今をただただ。

 

そこはどこまでも静かで、平和。

今日は何が好き?と聞かれたい。

自分なんてどこにもいない!

 

と私が言うのは、自分を解放する、っていう意味もある。

 

でもね、

 

知らないと解放できない、っていうのも真実。

 

自分のことって分からない。

 

分かってるって思っても、それはたいてい「誤解」で「記憶」なの。

 

だからいつも、

 

知らないから教えてね、

 

っていうつもりでいたらいい。

 

私はいつも紅茶派で、コーヒーは飲まないの!じゃなくて、

 

今日は何飲みたい気分?

 

と自分に聞いてあげる。

 

好みって日によって変わるよねー。私は変わるけど。

 

一度「この人はこれが好きだ」とインプットされちゃってて、それがずっと更新されないでそれをごり押しされるのは私はとっても苦手。

 

今日は毎日、毎日、何が好き?と聞かれたいし、

 

聞いてあげたい。

 

はい、アンタはこれが好きだったでしょ、これでいいんでしょ、と言われたくない。

治すんじゃなくて、治るとひとつだということ。

乳がんが分かってから今年の9月で2年。

 

あと4ヶ月で治したいなー。消えないかなー。

 

病気と闘う、とかって言うけど、それって自分の外側にあるイメージ。

 

自分ではコントロールできないものと必死に闘うイメージ。

 

でもそれって違うよな−。

 

私は病気で、病気は私なのに。

 

それは分離してない。

 

治るってことは私そのもので、私そのものは治るってこと。

 

治す、んじゃなくて、治るとひとつだということ。

 

ひとつって素敵。(正確にはいつだってひとつでそれに気づく、ということだけど)

 

以前は食べたいものを我慢したり、なるべくなるべくヘルシーなものを食べなくちゃいけない、とか思ってたけど、もう最近はなーんにもコントロールしてないのに野菜や果物とか自然なものが好きで、人工的なものには手が伸びなくなった。

 

以前は一生懸命飛ぼう飛ぼうとしてバタバタしてたけど、気がついたら羽ばたかなくても浮いてたよ?って感じ。

 

いつのまにか、I(私)がIt(それ)になってきてる。安心な感じ。

誰かに受け入れられる必要などない

最近ネットで見つけて「おお!」と思ってプリントアウトして貼ってある言葉。

 

美しくなる、ということは、あなた自身になることです。

 

誰かに受け入れられる必要などありません。

 

あなたは自分自身のことを受け入れる必要があるのです。

 

ティック ナット ハン

 

誰かに受け入れられる必要などない、とほんとうに気づくと、

 

「うわ、いっつも誰かに受け入れられるようにがんばってたよ?!」とびっくりするはず。

 

でもそのベクトルを「自分自身」に変える。

 

すると、実は自分を拒んでいるのは自分だったということに気づく。

 

他人はただそれを映している鏡だったりする。

 

自分を受け入れると、他人もまた私を受け入れる。

 

シンプルで、すかすかで、そこにはナニモない。

 

誰もいない 音楽だけがある

認知症予防コンサート、終わりました。

 

今日は、春のお花特集ということで、

 

花は咲く

ヴィヴァルディ 四季より「春」

はるのいろ (桃サクラ)

桜散る (桃サクラ)

フルート協奏曲 桜 (桃サクラ)

春メドレー 朧月夜〜花

 

 

というプログラム。

 

以前から時々お見えになっていたお客さんに久しぶりに会えて、

 

「Youtube見たよ!」

 

と言うのでてっきり演奏のかと思ったら、ノンデュアリティのおはなしの方だったのでびっくり。

 

ノンデュアリティな幕開け・・・と思ったらきっちりそんな展開になりました。

 

それは、

 

誰もいない 演奏中バージョン!!

 

今まで「誰に」対して音楽を書くのか、「誰に」対して演奏をするのか、それはどんな状況なのか、ばっかりにとらわれて、こだわって、苦しんで、悩んで。

 

なのに、

 

ひゃー誰もいないじゃん!

 

とすとん、と落ちた。

 

そこには音楽だけがあった。

 

そういう仕組みだったか。

 

音楽だけがある場所にいたら、たくさんの気づきが降ってきた。

 

「本気になりきれない」自分とか。

 

「がんになるほどに自分を責めてきた」自分とか。

 

現実はそんな自分の世界が映し出されていただけ。

 

そこは空っぽ。空(くう)でした。

 

今まで私はずっとなにかを求めてきたような気がするけれど、私は何を目指してきたんだろう。

 

音楽は私にとってものすごく大切だからこそ、思い入れもあってなかなか見えなかったんだろうなー。

 

はーこれかぁ。これだったかぁ。