アリスに夢中

高校生の頃夢中だったもの。それは、「不思議の国のアリス」!

 

なんかビョーテキに好きなの。あの世界観が。

 

これは当時買ったペーパーバック。

 

値段で時代が分かるというものです。

なんていうか、哲学のような数学のような不思議な世界観がたまらなく魅力なのです。

 

 

アリス 無理よ!

帽子屋 君がそう信じればね。

 

 

チャシャ猫が言うこんなセリフも好き。

 

I’m not crazy. My reality is just different than yours.

– The Cheshire Cat

 

私はクレイジーなんかじゃない。ただ私のリアリティは君とは違っているだけさ。

 

きゃーちょっとノンデュアリティかも。

 

うむ、近いうちまた読み返してみるとしよう。

 

そして私はイギリスものがほんとうに好きなのです。音楽もそうだし、最近ではドラマのダウントン・アビーとかも。

 

行かなくちゃ、イギリス。

そこは無

ペルシャの13世紀の詩人、ルーミーの名言。

 

あなたは心をずっと破り続けなくてはならない

それは心が開くまで続く

ルーミー

 

心を開いて、なんて言うけど、心が開くということは、実は、何度も何度も破れつづけて、扉もカーテンも仕切りもぜーんぶ破れてなくなるまで、ってことなんだね。

 

何も残っていない。余分なものは一切ない。

 

そこにあるのはオープンスペースだけ。

 

そこにはなにもない。

 

開いた心はつまり、無なのです。

私はこの程度?

3才の姪っ子に

 

「もうすぐパースに行くからおやついっぱい買っていってあげる」

 

と言ったら、

 

「だいじょうぶ〜?」

 

と言っていた。衝撃。

 

彼女は「おやつはこのくらい」という制限を持っていて、

 

「それ以上にあげるよ」という人が現れたら、「いいの〜?」ってちょっと怖くなったんだね。

 

うわ、3才にして、「ここまで」っていう設定がすでにできあがってるってことだ。

 

大人は言うに及ばず。

 

「私はこの程度」

 

ってみんな、ありとあらゆるジャンルに上限、設定を持っていて、

 

それから外れたモノは見えないし、見ないし、(だって下手に見ちゃうと不安定になるから)

 

どんなにせまくても自分が決めた上限と設定の範囲にとどまろうとする。

 

3才から決まっていてずっとそのままなんだものね。強固なはずだわね。

 

「私はこの程度」だなんて、そんなものは存在しないんだけど。マボロシなんだけど。

 

私はその設定にチャレンジするべく、毎日EFTタッピングを使ってバンバン叩きだしてます。

 

だってそんな設定かる〜く超えちゃいたいんだもの。

 

すべては無限にどこまでいっても尽きないし、豊かで、制限なんてひとつも存在しない。

 

「私はこの程度」だなんて、根拠なんてなんにもないんだよ。ただの記憶だけ。

 

実はみーんな持ってるこの「私はこの程度」。この講座でチャレンジしていきます。

 

心の平和と癒しのレッスンは奇跡へと続く

もし勝利が神様からのご褒美なら、敗北は神様からの教え

私は勝利からではなく、挫折から成長してきた。

もし勝利が神様からのご褒美なら、敗北は神様からの教えね。

 

セリーナ・ウィリアムス

 

ほんとうに自慢でも何でも無いけど、負けた数なら負けないぞ!(笑)

 

ズタボロになった経験って、その時はもうぐうの音もでないほどになるし、へこむし、苦しいし、世界の終わりみたいに思えるほど深刻。

 

私もかつては死ぬことばっかり考えてたチョー深刻な時期が長かった。

 

もともとつきつめて考えてしまう性格で、自分を責めて追い詰めがちになってしまう。

 

でも今は陰が極まって陽に転じたらしい(笑)オソロシイほど思い詰めないし、いいのかそれで?!ってくらいお気楽。

 

今思うと、とことんやってみたかったのかも。深刻を。

 

どんな景色か見てみたかったのかも。

 

そこに景色はなかった。エゴで真っ黒闇だったよ。

 

でもそれを見た私だからきっと言えることがあって、

 

私はそこんとこを伝えたいのかもしれない。

 

自分と人を比べてはいけません

今朝衝撃を受けたビル・ゲイツの言葉。

この世界の誰とも自分を比較しちゃいけない。

 

比較するってことは、自分自身を侮辱している、ってことだ。

 

 

衝撃の後で怒濤の納得。

 

これほどまでに自分を、それはつまり神や宇宙を愛している人だからこそ、

 

あんな巨大なビジネスを運営することができる。

 

 

愛だよね。

 

誰かとか、世界とか、いろいろあるけど、まずは目の前にいる自分をそのままで、ありのままで、すべてを好きになるということ。

 

 

この言葉、少し前に聞いたら「そうそう」ってほぼ素通りだったと思う。

 

自分が自分をどんなふうに扱っているか、ってなかなか気づけないことだから。

 

今、今日から始められるよ。

 

さて、今日は大好きな私のツキイチのコンサートの日です。蕨ミヤコレコード京浜東北線蕨駅西口徒歩1分にて15時から。ワクワク。

 

 

My gift is… 才能とは。

Youtubeで動画観てたらえらいもんを見つけてしまった。

英語で字幕なしなのですが・・・

 

 

ここでOprahが言っているのは、

 

My gift is the ability to surrender to a will which is greater than myself.

 

(私の才能は、私を超えた大いなる力に委ねられるってことなのよ)

 

がつーーーーん。

 

今日羽生くんと宇野くんのスケート観てても、そう思いました。

 

才能というのは、つまりそういうもの。

 

自分を超えた大いなる力にすべてを明け渡せるということ。

 

そこに「私」はいない。

許すということ

誰かを、自分を、許すということは、立派な人になるということとは違う。

 

誰かを、自分を、許すということは、すべてを理解するということではない。

 

ただ、ありのまま、目の前の、

 

みっともなかったり、

 

だらしなかったり、

 

失敗だらけだったり、

 

とほほほ、な自分を

 

「ま、しょうがないよね」「いいよ仕方ないよ」

 

とずるっと、ゆる〜くそのまま放置すること。

 

反省しないこと、責めないこと。

 

許そう!と決めて、きれいに処理してさっぱりすることじゃない。

 

逆。そのまま切りっぱなしにして、放置して、未処理にすること。

 

だらしない?うはー上等。

 

だらしなくても、反省しなくても、だらっとしてても、

 

私はサイコーなの。

 

これからより素敵になっていこうとしてるから、サイコーなわけじゃない。

 

より素敵になってもならなくても、また失敗するかもしれなくても、ぐじゃぐじゃしてても、どんなふうでも、とにかく、私はサイコー!なのだっ!

 

さて、あなたは?

 

条件づけは、しんどいよ。

 

しんどいことは、やめて逃げましょ(笑)

 

明るいほうへ。

悲しくてせつない話だと思っていた映画が・・・

実は2015年に自分の底が抜けてから、それ以前は毎週のように見ていた大好きな映画が全然見られなくなった。

 

でも最近なぜかまた戻ってきて、いろいろ見られるように。もっぱらテレビの代わりに映画を見てる。

 

それで数年ぶりにマット・デイモン主演の「ヒアアフター」を見たのね。

 

 

これ、もうなんていうか、わかりすぎるというか、サイキック描写がすごく的確で、「知ってしまうこと」「見えてしまうこと」の大変さがとてもよく描かれていて。

 

自分の記憶の中では「すごく名作だけどせつなく悲しい話」として刻まれていた。

 

で、久しぶりに見てびーーーっくり!!!

 

ものすごく希望にあふれた話じゃないかっ!!

 

もちろん、数年前の私が共感したであろうサイキック描写も良かったけど、なにしろサイキック名主人公が自分の能力を認め、受け入れる過程がとても素晴らしかったし、なんと最後がすてきなすてきなハッピーエンド!!

 

どこが悲しい話なのだ?!

 

首をひねりました。

 

実はこの映画だけじゃないの。昔見た映画、全部が別物みたい。

 

いやいや別物になったのは私だってば。

 

結局のところ人は見たいものを見るし、見たいものしか見えない。

 

そしてそれが現実になっている。

 

って、それだけ。

テレビを見なくなって1ヶ月

経ちました!12月11日に始めたので今日で丸一ヶ月。

 

暮れに実家に帰って紅白とお正月の格付けだけ見たけど(あれ面白い)あとはほとんど見ていません。

 

変化としては、

 

まず、体調が良くなった いろんなニュース(ストーリー)に接しなくてよくなったから

 

霊媒体質なものでいろんな情報が勝手に入ってきてしまうのよー。

 

そして、CMを見なくなって、自分の価値がちゃんと感じられるようになった。

 

CMっていうのは

 

「私たちには欠けているものがある!」

 

ということを前提にして、

 

「これを買えばそれが解消!」

 

とオファーして刷り込む仕組み。

 

このヨーグルトを食べれば、あなたは健康に!

 

このファンデーションを買えば、あなたは美しく!

 

 

ってわけ。

 

ううん、実はヨーグルトやファンデーションがなくても、あなたは今のままで十分なんです。

 

なにかを買うことで、手に入れることで、人が変わることなんてあるわけがない。誰がなんと言おうと、だまされてはいけない。

 

それはキツネかタヌキです(笑)

 

1ヶ月テレビを見ないだけで、

 

「I am enough」度が格段に上がったのがすごい。

 

自分を下に下げるような言葉が出てこなくなった。まぁ日本の社会はそういう社会だけど。

 

それで、たまたまお店の電話を取ったりして、お客さんの対応をしたりすると、

 

キレられる(笑)

 

そして自分がお客さん側だと、いろんなお店の人の対応が「クレームが来ないように」ということを一番にしているせいか、実はかなり卑屈なのだということに気づく。

 

そんなに謝る必要が?!と首をかしげること多し。

 

CMも実はかなり卑屈なの!相当屈折してるの!

 

卑屈に考えてしまう自分をどうにかしたくて、いろいろ試してきたけど、テレビCM抜きが一番効きました。

 

私もやめるまでは時間が掛かったの。オーストラリアで鬱になったとき、日本のテレビ録画をずっと見ていたっていう歴史があって、最初はすごく怖かったもん。

 

最初はちょっと寂しいけど、あとは自由しかない。

 

ま、地面を這っていたい人は、見といた方がいろいろためになります。これは皮肉じゃなくて。

 

ヤベツの祈りと出会う

12月に始まった変化の波がぐいぐい押し寄せてきている今日コノゴロ。すごいっすよー。

 

変化の波がいろんなことを起こしているのか、いろんなことをしているから変化の波が来てるのか、どっちが先かはわからないけど、いろいろ起こってます。

 

 

その中でやってきたのが、「The Prayer of Jabez」という本。日本語だと「ヤベツの祈り」という。

 

 

キリスト教の牧師さんが書いて、アメリカで1000万部を売り上げた本。

 

私には特定の宗教がない。どんな真理もひとつだから、それがキリスト教だろうが、仏教だろうが神道だろうが、私はすべてを信じてる。

 

だから全然抵抗なく読めたし、なにより面白かったし、なんかびーん!と魂に響いたんだよね。

 

Surrender(降伏する)というのがずっとテーマだったけど、具体的な方法がついに出てきた!と思って、このThe prayer of Jabezを12月21日から実践中。

 

カンタンなお祈りなの。

 

Oh, that you would bless me indeed, and enlarge my territory, that your hand would be with me, and that you would keep me from evil, that I may not cause pain!

私を祝福してください。私の裾野を広げてください。あなたの御手がいつも私と共にあり、邪悪なものから私を遠ざけ、苦しむことがありませんように。(桃サクラ訳)

 

これだけ。

 

聖書には「神様はこの祈りをかなえられた」とある。

 

このお祈りのすごいところは正面切ってねだってるところ!!

 

つまり「Ask !」ってことね。「願いましょう」「ねだりましょう」ってこと。

 

これを始めてから、いろいろ欲しがってくるクセに、なにをねだって良いのか分からない自分がいることに気づいた。

 

欲しがるならきっぱりと欲しがらないと!!(笑)

 

だからトレーニングのように毎日やってます。

 

でね、これを始めてから一週間後に突然銀座に行きたくなったの。

 

で、行ってきた。すごいねー銀座。まぶしい。すごく好きなエネルギーの街。

 

そして新しくなったITOYAで、素敵なノートを発見。

 

おおこれを「祝福のノート」にしよう!と思いついて購入。

 

これに「祝福したいこと、されたいこと」を書いてお祈りするの。

 

ノートをゲットして、うふふ、と思いながら銀座の街を歩いていたら、突然「豊岩稲荷」のことを思い出した。

 

銀座の表通りから資生堂の裏を入ったところにあるビルの谷間の小さなお稲荷さん。

 

とにかくパワーはすごいっすよー!!!キレッキレ系。

 

以前はよく行ってたんだけど、最近ご無沙汰してた!病気が分かってから1度も行ってなかったかも!これは行かなくては!ということで行ってきました!

 

そこでノートを出してお祈りしてきた。

 

私を祝福してください、って。

 

ははは、もう神道とキリスト教ごちゃごちゃ!

 

いいの、すべてはひとつだから。

 

祝福ノートにお祈りを書くとき、すごく真剣に書かなくちゃ!という緊張感がある。

 

だって、叶っちゃう。本気だから。

 

そしたらほんとに叶ってるのです。すごいのです。

 

なにが叶ったかは次のブログに書きますね。